AIを使える人と使われる人・飲み込まれる人
産業革命やIT革命以来、あるいはそれ以上の技術革新と言われる“AI”ですが、これによって我々の暮らしが実際に豊かになったり楽になるのでしょうか?具体的にいうと、人手不足や高齢化社会を補う労働力として、またグローバル時代におけるコミュニケーションツールとして、さらには情報化社会における自動最適化ツールとしても大きな役割や期待を担っています。しかし、一様に楽観的でもいられないわけで、ここでは仕事と学びと言う観点で書きたいと思います。
1.仕事のあり方が変わる?
「なくなる職業」という特集をよく見かけます。基本的に人間がやっている仕事を1から100までAIが単独でやりきることはできません。よって完全になくなる仕事はほぼない一方で減少する仕事はありそうです。
まずAIにかかわらず残る職種はというと、対人を基本とする仕事や重要な判断や責任を伴う仕事、たとえば医師や弁護士、会社経営者・マネージャーなど。また複雑な動きを要する仕事、マルチタスクを担う仕事もそう。たとえば料理人や建築家・建築系の職人、後者でいうと教師もそう。
逆に誰でもできそうな仕事、単純な事務仕事、文章やイラスト作成、コードを書くだけのプログラマーなどは不要となりそうです。概して自動化される部分の仕事はごっそりとなくなり、就業人口の割合は大きく変わるのだろうと予想します。職種によっては大企業で採用される人数も減りそうです。
そもそもAIを導入する目的は生産性の向上です。時間短縮はもちろん、人件費の削減を前提とするものなので、これからの時代、労働関連法も変わり、雇用流動化も促進されるでしょう。砕いた言い方をすれば、終身雇用の時代は完全に終わり、リストラが当たり前の能力主義的な色合いが強くなりそうです。
2.学びのあり方が変わる?
AIを使える人とそうでない人、さしてはAIに使われる・飲み込まれる人
AIを使うという意味では、すでに使っている人は多いと思います。調べ物やメールなどでの作文補助、要約や翻訳、パワポなどの資料作成、イラストやデザイン、音楽や映像制作に至るところまで、あっという間にAIの領域は日常生活においても身近になりました。うまく使えば本当に便利で、ビジネスぽく言うなら、時間や経費の削減を少しずつ叶えてくれる魔法のようです。
一方でAIは万能でもなく全知全能でもありません。ふつうに間違えます。そこに気づかず誤用してしまう可能性もあり、そのリスクや代償もあるでしょう。AI任せにせず、自分で正誤をチェックすることが必要です。またAIに対してはプロンプトつまり命令として的確に指示をするための知識や言語能力、そして出てきた回答をさらに解釈したりアレンジすることが必要であるため、単にAIを有効活用するスキルに加えて、一定の教養やリテラシーも欠かせません。
ただAIを使えている気になっているだけでは、所詮「AIに使われる」側なのかもしれません。さらに言うとAIに任せっきりでは自分の頭で考えなくなるリスクも発生するので要注意です。
前半で述べた通り、AIの目的はだいたいの場合、生産性の向上なので、会社や職種によってAIを使える人材が生き残り、AIを使えない人は優先的に解雇される可能性さえあります。
ひとつ聞いた話として、某ベンチャー企業に転職した知人が、大した研修もなく在宅ワークになったらしいですが、仕事のやり方を上司に尋ねたところ、「AIに聞いて調べて!」と言われたそうです。つまり、AIがマニュアルの役割も担うということを示唆しています。よかれ悪かれ会社独自の教育はなくなり、会社の独自性も減っていくようです。そして、「AIに使われる人」がこのように生み出されていくのかもしれません。
いずれにしても、史上最高の技術革新となりうる“AI”ではありますが、これによって我々の暮らしが豊かになるのか?という命題に対して、「おそらくそうだろう」と期待を込めて考えるところです。しかし、間違いなくこの“革命”は格差をもたらします。AIによって恩恵を受ける側と飲み込まれる側。前者として生き残るためには、AIというスキルを身につけ活用するための順応力や学習能力が必要であると同時に、教養そしてAI自体を俯瞰しながら客観的にとらえる批判的思考がより重要になるのだろうと考えるところです。


