メディア・リテラシー
3月11日の東日本大震災から2週間近くが経ちました。まだ原発や被災地支援・復興の問題は現在進行形でもありますが、今回の震災は政治・経済・科学など社会全般における何かしらの分岐点になるであろうと思うと同時にたくさんの教訓を残してくれたように思います。
その教訓の最も大きな一つが報道のあり方とメディア・リテラシーについてです。
====================================
メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。なお、この項では主に、「情報を評価・識別する能力」という意味のメディア・リテラシーについて記述する。
メディア・リテラシーで取り扱われるメディアには、公的機関やマスメディア(新聞、テレビ、ラジオ等)を始め、映画、音楽、書籍や雑誌等の出版物、インターネット、広告等、様々なものがあり、口コミ(口頭やブログ等)や各種の芸術等も含まれることがある。(Wikipediaより引用)
====================================
今回の災いは、一刻を争う程、情報収集のスピードが問われた事態であり、一方で報道のあり方一つで市民を混乱に陥れることもあれば、受け手側も誤って情報を受け取ってしまえば、判断ミスをしたり、パニックを率先してしまう、ということを教えてくれているようでした。
先日3月22日「中高一貫国語講座」という授業で急遽“メディア論”として「震災報道について」という文献を扱いました。
内容は新聞報道を中心としたメディア批判の文献ですが、それを通して、まさに「当事者として真偽を見抜くために我々情報の受け手はどうするべきか」ということを生徒に考えてもらう機会となりました。
今回の原発報道に関して例を挙げると、
政府機関・・・責任が大きいので慎重なものの言い方になる
新聞・雑誌・・・読み手や購買を意識して刺激的な見出しの傾向、情報の鮮度が低い
テレビ(特に民放)・・・リアルタイムで情報が早いが、スポンサー企業の不利益については触れにくい
ネット・・・多様性が許容されるがデマがまわり易い、情報発信者が特定できるかどうかがカギ
など、それぞれの傾向・特性があります。それらを踏まえて情報を比較検討することが重要ですし、まずは自分が受けた情報を無条件に信じ込まないこと、情報発信者の経歴や立場・視点を確認・解釈すること、そして信頼に足る第三者の見解を仰ぐこと、というようなプロセスをもつことが大切だと思います。
これからの時代を生き抜くためには、まさに“リテラシー”を高めることが大きな指針となるはずです。